【ROOTS】ずっと横目でその成長を追いかけていました

【ROOTS】は、当社で働いている社員の方を紹介するコーナーです。
ケアリッツには毎月大勢の方が入社されています。どのような方がどのように活躍しているのか、インタビュー形式で紹介します。これから介護職へ転職を考えている方や、経験は無いものの介護に興味がある方々は、是非参考にしてください!
今回紹介するのは 池袋事業所 中野西 裕子(ナカノサイ ヒロコ)さん
2024年2月に正社員入社。中学時代から福祉の道に進むことを描き始め、高校卒業と同時に訪問介護の道へ。企業まで経験した中野西さんのこれまでの歩みや、これからの目標など、色々とお話を伺ってきました。
ターニングポイント
-なぜ介護に興味を持つようになったのですか?-
私が生まれ育ったのは福島の田舎町で、少子高齢化が進んでいる地域でした。隣近所と言っても歩いて10分以上かかるようなところで、老人ホームも町内に1つしかありませんでした。同世代の子と遊ぶよりも地域のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に畑仕事をしたりしながら、たくさん可愛がってもらって育つうちに、この人たちの役に立てることをしたいなって思うようになっていったんです。
中学時代に夏休みのボランティア活動の一環で老人ホーム(特別養護老人ホーム)へ行ったとき、高齢者を疑似体験してみようという企画があって、視界がぼやけるような眼鏡をかけて、重りを背負って、関節に制限がかかるようなサポーターをつけて過ごしたことがあるんですけど、「高齢者ってこんなに大変なんだ・・・」という衝撃を覚えました。その後で自由時間があって、入居されている皆さんと交流させてもらったんですが、一人のおばあちゃんから爪切りを頼まれたので、私なりに一所懸命お手伝いしたら、「あんた上手だね!」って褒められて、中学生ながらにそれがすごく嬉しくて、福祉の道が具体的な将来の目標になりました。
高校では総合学科を専攻して、福祉の科目を選んで受講しました。授業の一環で当時のヘルパー3級を取得したんですが、その時の実習で訪問介護の現場に行かせてもらいました。それまでは老人ホームの様子しか知らなかったんですが、1対1で向き合えることの楽しさを経験することができて、私には訪問介護が合っていると確信することができました。
進路を決める際、進学を選ぶ同級生もいたんですけど、仲の良かった友達も介護の道を目指して就職するってことだったので、「じゃあ一緒に就職活動しよう!」という話になり、東京の、当時業界最大手だった訪問介護メインの会社を受けてみたら、二人とも採用されて一緒に上京。社宅暮らしの生活が始まりました。私はずっと引っ込み思案で、何かやりたいことがあっても自分から言い出すことはできないタイプだったんですけど、就職して福祉の道に進むっていうことは、初めて自分から伝えた希望で、最初は周囲から反対されるかなとハラハラしていましたが、思いがけず背中を押してもらえたこともあって、頑張ろうって気持ちが更に強くなりました。生まれ育った町からは離れることになりましたが、一緒に上京した友達は文京区の事業所に、私は豊島区の事業所に配属されて、お互い行き来がしやすかったこともあって、ホームシックにはならずに楽しく働くことができました。
専門職としてのこれまで
-実際に介護の世界に飛び込んでみてどうでしたか?-
仕事をするにあたって、イメージと実際のギャップはほとんどありませんでした。生まれてから死ぬまでのサイクルの中で、人生の終盤で人の手が必要になるのはもともと想像できていたので、排泄にしても食事にしても、そういった介助はあって当たり前だと思っていました。ただ、介護が必要になる理由には色々とあって、特に病気についての知識はあまり持っていなかったので、どこまでやっても大丈夫なのかとか、どうやると負担が少ないのかとかについては、今でも悩むことはあります。それと、人が亡くなるということを目の当たりにしたのは、仕事を通しての経験が初めてでした。20歳になるかならないかくらいの時で、訪問したら目の前でご利用者が倒れていて、亡くなられてから数日たっていたという状況でした。すごく衝撃的で、何もできずに時が止まったような感覚になったことを覚えています。授業で勉強はしていても、いざその場面に立ち会うと、学んできたことって直ぐには機能しないものなんですよね。今振り返ってみると、すごく貴重な経験をさせてくれたんだなと解釈することができていますが、誰かの人生に寄り添う仕事ってこういうこともあるんだなと痛感させられました。
それからしばらくして会社がなくなってしまうことになり、当時の仲間たちで訪問介護の会社を起業しようという話になって、2008年に、豊島区に訪問介護の会社を立ちあげました。図らずしも同じ年にケアリッツも創業していて、ずっと横目でその成長を追いかけながら、歳月を過ごしてきました。私たちの会社とは違って、ケアリッツの成長速度は目を見張るほど早くて、いつも、「すごいな」って感心してばかりいました。私たちも頑張らなくちゃと、起業から4年くらいしてから管理者に就任し、現場でのケアだけでなく、運営の面でも一所懸命に走り続けてきたんですが、結果疲れ果ててしまったんです。現場と運営の両立は思っていたよりも大変で、事務作業が深夜にまで及ぶこともよくありました。それでも翌朝早くから現場に出なければならず、体が悲鳴をあげてしまったんですね。それが2023年のことだったんですが、福島で過ごした年月が18年、東京に出て訪問介護を始めて18年というタイミングで、なんだか妙に節目のように思えて、起業した会社をリタイヤすることに決めました。しばらくは休息期間ということで特に何をするでもなく過ごして、介護以外の仕事もいいかなとも考えたんですが、訪問介護の仕事自体に対しての熱量は一切色褪せていなかったので、新しい環境に身を置いて、一人のヘルパーとしてキャリアを積み直していきたいなと思ってケアリッツへの転職を決めました。
ケアリッツへの転職
-ケアリッツに転職してみていかがですか-
今すごく楽しいんです!この事業所のメンバーと一緒に働けることが楽しくてたまりません。前職は登録(パート)のヘルパーさんがメインだったので、現場でのケア以外の業務がかなり負担になっていましたが、今は正社員がメインなので、事務作業を分担することができていますし、帳票類も効率的に整備されていたり電子化されていたりするので、すごく快適です。それに何か悩んでも相談すればみんなが答えてくれるので、頼もしい限りですね。管理者は若いのにしっかりしていて、「すごいなあ」って感心してばかりいます。ただ、まだまだ障害の分野が苦手だったり、役所とのやり取りの仕方が分からなかったりするようなので、その辺りは前職での経験を生かしてフォローさせてもらっています。上京してからずっと働いている地域なので、土地への愛着もあるし、会う人会う人大抵顔馴染みなので、安心して働くことができています。実は主人もケアリッツで働いていて、私よりも2年くらい早く入って板橋区の事業所にいるんですけど、ずっと楽しそうに働いている姿を見てきたので、その理由が今はすごくよく分かります。夫婦揃って、これからもケアリッツで頑張るつもりです。
これから
-今後の目標を聞かせてください-
先ずはケアリッツで18年勤めることが目標ですね。体が続く限りは現場のヘルパーとして働いていきたいです。私はずっと若い人が苦手で、同世代だけではなく、親世代でさえ関わることに抵抗があったんですが、訪問介護という仕事を通して小さな子供や若い世代の方とも関わっていくうちに、年齢に対しての苦手意識を完全に克服することができました。そういったこともあって、介護の仕事を辞めたいと思ったことは一度もありません。かつては職位に伴う責任につぶされそうになったことはありますが、現場での介護は大好きです。今後のキャリアとして、管理者はもう考えていませんが、サ責(サービス提供責任者)は目指してみたいって思えるようになってきました。ケアマネジャーにもいつかは挑戦したいと思っていますが、今はまだまだ体が元気なので、現場第一主義で頑張っていこうと思っています。お叱りも感動もダイレクトにいただけるのが訪問ならではの魅力だと思っているので、その素晴らしさがもっと世の中に広まってくれるように願っています。
これと決めた目標を一身に追い続け、未だに熱量高く介護の現場と向き合っている中野西さん。ケアの話を楽しそうにされる姿がとても印象的でした。本当に現場が大好きなんですね。これからも第一線での活躍を期待しています。貴重なお話、本当にありがとうございました!